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NewsLetter

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Author : TAZUKO NAKATANI

教えているのはこんな人:
16年前、原因不明の体調不良を改善するためヨガを始める。以来ヨガとサーフィンを通じて、完全回復しヨガを自分の人生の中心に置くことを決意。師を通して、海外のヨガスタイルに触れインスパイアされる。世界を広げるため、2000年、ヨガ・サーフィン三昧の単身渡米。
サンディエゴ→サンフランシスコまで、単身アメリカ西海岸縦断の海外放浪を経験する。現地でTTCを修了。帰国後は、IYCインターナショナルヨガセンターや首都圏各地でフリーのインストラクターとしてヨガを教える。近年では2007年4月までヨガスタジオ東京(渋谷)、2008年SHIZENヨガスタジオ(吉祥寺)にて講師をつとめる。
2008年3月に自宅にて「YCSヨガコモシャンティ」を立ち上げ、ヨガは、マンツーマンの指導が伝統であり原則となるため、指導は少人数制にこだわっている。海外で習得したアイアンガーヨガ・シャドウヨガ・アシュタンガヨガの理論と実践をベースに独自のスタイルでレッスンを行っている。

解剖学、アーユルヴェーダ、ヴェーダンタ哲学、東洋医学、経絡マルマ理論、運動生理学、アロマテラピー、ボディコンディショニングなどを学び、身体の個性とエネルギーの流れなどを重視したバランス理論を構築。

「しなやかなココロと身体」が常に人生目標。

  • 2016-11-10(Thu)
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最近の世の中というのは、ネットやSNSなどの媒体やマスコミメディアや世界中のニュースや情報がそれぞれの個人や団体が自分の価値基準や利益に従って、自由にある意味好き勝手にそれを世界中に発信したり、扇動するということがたくさんありますね。


世の中には、それぞれたくさんの価値基準があって、一つではないのですが、自分がどう考えて、どう発言して、どう行動するかというのは、とても大切なことなのです。当たり前のことようですが、どう考えて→想像力・発想力・論理的思考力・知識・経験、どう発言して→思いを正確に言葉にする力・適切な言葉を選ぶ力、豊富なボキャブラリーと経験則や知識、どう行動するか→
実行力・言葉に出したら実行するという意志力・実現能力、そういったことが、自分の人生を自分らしく生きるためにはとても重要です。

ヨガでは、思いと行いと言動は常に一致するように説かれます。それがヨガ=自己統一性そのものだからです。
一人ひとりが、そういった実践を積み重ねることで、自分という人間が表裏なく、有言実行、思いと行動が一致している人になることで、それが周囲の人間によい影響を及ぼし、社会全体がそういった高度に成熟した社会になっていくという考え方なのです。

それでも、価値基準というのは人それぞれで、それぞれの基準で日々判断し、ジャッジし、発言し、そういったエネルギーを拡散させていくのですが、自分自身の価値基準をしっかりと持って、それを見失わないようにしたいものです。価値基準は、頑固頭とは少し違っていて、またジャッジメントでもありません。

そういった価値基準をクリアに意識しながら生きるためには、不十分な情報や、ソースのはっきりしないニュースをうのみにしないとか、好きとか嫌いとかいった感情に左右されないとか、より高いレベルの価値基準にてらして判断できるとか、ある一定のスペース感がすごく大事になってきます。ここでいう、スペース感は、距離感とか客観性といったニュアンスですが、いろんな面でのスペース感が大事です。

感情的な人は、そういったスペースがなんらかの原因で失われてしまって、感情と自分自身という存在が一体化しすぎて、爆発する、あたかも自分自身が感情そのものであるかのように。でも冷静に考えれば、わたしたち人間は感情そのものではなく、感情をコントロールできるはずの主体者であるのです。

もやもやと悩み多き人々は、おそらく様々な価値基準をすべて抱えて、どれも手放すことができずに、選べずに行動に移せずにいるという状態でしょうか。

こういった状態の人は、身体や心や思考の中にスペースを持たないので、そういったよくない状態であること自体に気づけず、主体を発見できないため、身体にストレスや感情や疲労をため込むことになってしまいます。

それはとてももったいないことです。


手段はいろいろあります。まず、自分自身の価値基準を明確にクリアにしていきましょう。
プライオリティを何に与えるか、それ自体があなたの生き方になります。
そして実践し続けてください。大げさなことではなく、日常の些細なルーティーンから始めましょう。

私の場合は、そのすべての解決策がヨガなのですが(笑)、身体も心も呼吸もフリーにして、クリアなマインドで
この私たちの素晴らしい世の中を見てみましょう。生きているということの恩恵と価値を心にとめて、毎日を大事にしていきましょう。すべての物事には、必ず終わりと始まりがあって、始まったものは終わりますし、終わったら何か新しい始まりが必ずあるのです。そのすべてを受け入れて、正しい価値基準ではかってみましょう。

多くの人が、最終的には素晴らしい価値基準で心穏やかに、身体健やかに過ごしてほしいと思う今日この頃です。

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  • 2015-05-07(Thu)
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あまりにも記事の更新ができないので、昔のブログ記事をUPしてNEWS LETTERと身体と理論のカテゴリーに載せました。
なので、季節や時間のタイムラグがありますが、ご容赦ください。なかなか良いことを書いてあります。
ちょっとずつ、カムバックさせますので、よかったらご覧ください。

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  • 2015-05-07(Thu)
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YOGAの意味は、「ツナガル」
震災後、絆とか繋がる、なんて言葉がよく見られますね。

「ツナガル」ものや相手は様々ですが、
最も大事なツナガリを確認したいのは、自分自身。

ヨガは、自分がしっかりと自分自身と繋がっているかどうか
をそのプロセスで確認しながら、思い起こさせてくれます。

すなわち、あれ?自分ってこんな○○だったの?とか気づくこと。
その○○は、身体的なことだったり、精神的なことだったりするのですが。

とにかく、自分に気づくこと。気づきや注意を向けること。

人の意識は、外からのたくさんの刺激によって絶えず、反応や揺らぎを
強いられている状態です。

そういった強い刺激によって意識が外に向きすぎて、
内への観察や意識・注意が散漫になると自分が空っぽになってしまいます。

外からの刺激はほどほどに、自分の中に消化可能なくらいを取り入れて、
残りは少々遠慮しておきましょう。(知足)
自分自身を咀嚼するゆったりとした時間や空間が必要です。

ヨガは、そういったゆったりとした自分自身と向き合う時間に
役立つ道具です。

ヨガ、の中のアサナ(ポーズ)をとっている時、
ふと、今日は身体が軽いなとか、今日は身体が重いなとか、
そういう瞬間がヨガ。

ヨガ、で呼吸を感じている時、
呼吸が浅いなーとか、深く入ってるなーと味わう時、
自分の中に肉体的・精神的なスペースを感じる瞬間、
それがヨガ。

ヨガ、でメディテーションする時、またはポーズの中で
メディテーションを味わう時、
頭の中のグルグルと動き回る思考やアイデアや価値観や批判
や日常生活のどーでもいいことへの執着を
少し離れたところから冷静で明晰に無価値判断で観察する自分が
現れた瞬間、
それがヨガ。

だからヨガ。ツナガルのがヨガ。

自分自身をもっともよく知っているのは、
自分しかいないから、
自分をよーく見つめて、思い出すのです。
誰かが教えてくれることはない。
誰も知らない。自分は自分が知ってる。

そして、もし誰か(外)に自分を分かってもらいたいと思ったら、
自分の思っていること(思考)と言動と行動を一致させて
外の世界へ自分を表現すればいい。

そうすれば、自分の望むセカイと必ずツナガル。
ツナガりたいと思えば、諦めなければ。

自分ときちんと繋がってる人は強いと思う。

外の世界と繋がることだけを求めない。

自分とのつながりの探求。

エンドレスジャーニーだって。

ヨガは気持ち良くて楽しくって
それでいてつながれるご褒美。

最高です。(^_^)








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  • 2015-05-07(Thu)
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毎年言ってる話ですが。。。

節分をすぎると、もう春です。春になると、人間も動物のはしくれですから、
身体が開き始めて、骨盤やら、頚椎やら・・・いろんなところが緩んだり
動き始めます。身体が動くってことは、当然、ココロ・マインドも動きますね。
気分が高揚したり、落ち込んだり、感情や気分の波が動き始めます。

春になると、やる気が起きる人、やる気が無くなる人。ま、いろいろです。

だいたい、どんなひとでもそんな揺らぎはやってきますが、敏感な人はもう感じてますね。

普通の人は、もうちょっと、先ですかね。。。3月くらい?

ヨガをやってると、いろんなところで繊細・敏感になりますから、すでに変化を感じて
自分なりに春への対策をたてるわけですが、そうでないひとは、急に春が来てあっちが痛いだの
こっちが痛いだの、なんとなく調子が悪いだの、ならないように。。。。ご注意を。

女の人は、出産後の骨盤の調整に非常に注意をはらったりするんですが、春先の骨盤の変化にも
もっと敏感になったほうがいいですね。
出産後に骨盤引き締めしなかったわ~~って後悔してるひとも、春先(今頃ですよ~)には
骨盤を引き締めて体型をもどすチャンスが巡ってきてます。毎年、チャンスです!!

一年中、身体もココロも同じ状態ではいませんから、自分の状態に常に意識とココロを向けて
あげましょうね。

OM SHANTIH

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  • 2015-05-07(Thu)
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今回は、キーワードからのお話ではないんですが、ちょっと気になる話を。。

フードファディズムというのをご存知ですか?
これは、『食べ物や栄養が健康や病気に与える影響を、過大に信奉したり評価したりする事』です。群馬大学の高橋先生という方が日本に初めて紹介概念だそうです。

以前にテレビの健康番組が○○で痩せるとか、放送されるとスーパーや食品売り場でその食品が売り切れ、品切れが続出するという出来事がありました。
あれなんかは、典型的なフードファディズムです。

身体への影響がよいにしても悪いにしても、ことさらに誇大にアピールすることを言います。いずれにしても、職と健康に関する怪しげな理論です。

これらは、3つに分類が可能だそうです。
まず
①健康への好影響をうたう食品の大流行
  それさえ食べれば(飲めば)病気が治るとか、短期間で痩せるなどと吹聴される食品が大流行することです。ここ数年でも、にがり、寒天。白いんげん、納豆などが思い出されます。
②大量摂取の影響を、量を無視して一般化する
その食品に含まれる「有益・有害成分」の量には言及せず、「~によい」「~に悪い}と主張することです。
食品中に極微量存在する有害物質に関して、有害性を発揮するだけの量尾を摂取することはありえないにもかかわらず、健康への悪影響があるかのように吹聴する情報もあります。
反対に、確かに有効成分が存在するけれども、有益性を発揮するだけの量をとることが不可能という情報もあります。
③食品に対する期待や不安の扇動
食生活を全体として捉えず、ある食品を身体に悪いと決め付けたり、別の食品を身体によいと推奨することです。特殊な食事法を推奨することも同様です。
また、「人工」「動物性」は悪くて、「天然・自然」「植物性」は悪いとする傾向もあります。

食品を身体によいものと悪いものに二分する傾向が強くありますが、単純な区分けには問題があります。成長期の子供化、成人か、身体運動量が多いか少ないか、いつ摂取するか、食欲が旺盛か、少食か、女性か男性か、などなど様々なファクターによって、よい食品か悪い食品かは異なります。

例えば、ヨガをする人にとってもなじみの深い食事かもしれませんが、身体にいいといわれる玄米を例にとってみましょう。
玄米は精白米よりも多様な栄養素を含んでいますが、消化吸収に難点があります。
胃腸が丈夫出、食欲旺盛な人にとっては、食べ過ぎ防止も含めて玄米は「よい」といえるかもしれません。でも、胃腸が弱く、少食の人の場合、玄米では総エネルギーやたんぱく質、脂質の不足を招くこともあり、「悪い」といえる場合もあるのです。

アーユルヴェーダの考え方(ヴァータ体質かピッタかカファか)や日本古来の食文化の考えである身土不二という考え方で言えば、外国製の食品よりも身近な場所、国内でとれたもののほうが日本人にはあうということになるし、また乳製品が身体に合わない日本人が多い、などやはり、自分はどうなのか?・・・ということを知ることを抜きにしては、考えられないのです。

「植物神話」も要注意です。
動物性食品をすべて排除する食事法がいくつかありますが、私たちは動物性食品も植物性食品もまんべんなく摂取することが必要であり、まして成長期の子供たちから一切の動物性食品を除いてしまうことはとても問題です。

また野菜嫌いの子供たちに、市販の野菜ジュースを飲ませておけば十分だと思っている人もいるかもしれませんが、野菜ジュースは「野菜のしぼり汁」だけを集めたもので、食物繊維やカルシウムは、絞りか酢に多く含まれるため、肝心の栄養素は摂取できませんし、野菜ジュースといいながら、中身はほとんど果物ジュースという商品もあります。そのような都合のよい表示や、品名などにだまされてはいけないのです。

何を食べるか、というのは本当に自分の責任なのです。
子供に関して言えば、完全に親の責任です。
子供は大人である親に与えられた食品で、身体を作り、ココロを作り出すのです。
切れやすい、とか我慢できないなどの問題が出てくるのは、食事、食べ物に関する意識が親に足りないからなのです。
マスメディアだけに責任を押し付けるのではありませんが、フードファディズムに陥らないよう、自分自身のこと、子供のことをよく知り、何をどのくらい食べるのが一番いいのか、という基本を身につけましょう。その上で、羽目をはずすこともたまにはあっていいと思います。

最近わたしは、何を食べるか・・・・というのは大事だとず~~っと思ってきたし、今も思ってるのですが、それより大事なのことがあると思ってます。
どのくらい食べるか、どういう環境で食べるか・・・ということです。
どういう雰囲気の中で食事をし、どのくらいの量を食べるかということが、何を食べるか、(いわゆる健康食や自然食やオーガニックにこだわるのもいいけれど)それはということよりも大事なんじゃないかな~と思えてきました。

みなさんは、どう思いますか??

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  • 2015-05-07(Thu)
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秋の空

天高く馬肥ゆる秋ですな~。

馬だけじゃなくて、人間も肥ゆる秋。

さあ、みなさんはどのようにしてコントロールをされているでしょうか??


先日、クラスに初めて参加してくれた生徒さんのコメント。
「私は、ずっとジムに通ってエアロビをしていたんですけど、エアロビをするとついつい食欲が出ちゃって、とうとう8キロも太ってしまいました。ヨガって痩せますか?」

え~!?運身体のために運動していながら8キロも太っちゃうの~!

それって切ないね~。って言いながらもこれには納得。

つまり、食欲が出てしまうってことですよ。(秋だけじゃなくってね)

私の考えでは、多分彼女には「エアロビ」は<太>あってないんじゃないかな~と思うのです。

アグレッシブな動きを要求される運動では、アドレナリンが大量に放出。

アドレナリンが大量に出ることでストレスが発生。彼女の場合、ストレス解消のために食欲が刺激。

たくさん食べてしまう。そして、太る。

アグレッシブな動きや、行動がストレス解消になるひともいれば、ストレスになる人もいます。



そうそう、私も同じようなことありました。



ビリーズブートキャンプを昼間しっかりと行うと、終了後に食欲が異様に出ることがあります。
(私の場合は、常にそうなのではなくて、場合によってなのだけど・・・・・・・・)

あ~、これビリーのせいかな~・・・・・・・などと思う。

やること自体が快感のときはいいけど、やらなきゃな~ってのが少し入るとそうなることがあります。

あと、やっぱりハードな時ね。終わった後も、なんだかアドレナリンが、バンバン出てるぞ~って感じる時ありませんか~?私あるのよね~。そういう時は、なんだか食欲が出ちゃう。。。

さて、では、ヨガはどうか!?

ヨガで食欲が出る・・・・・・・ってことあります。

ヨガもいろいろあるからね。

私は<太>アシュタンガヨガなんかをすると、トキドキそうなることがありました。

ただ、ヨガの場合は、それをコントロールできる手段があるのです。

呼吸法瞑想、がそれです。

アシュタンガヨガをした後には、必ず呼吸法と瞑想をする・・・・・・・・・するとそのようなことは起こりません!!

そうなんです。

脳や身体の一種の興奮状態で、アドレナリンを出した場合、呼吸と瞑想でそれを

静めることができるのです。


また、一般にイメージされるソフトなヨガの場合は、その内容自体に
ココロやマインドを静める呼吸法の要素がたくさん入っているので、それによって
アドレナリンがたくさん出たり、興奮したりってことは無いのです。

だから、食欲も、その他の欲求も、すべてコントロールしやすい状態になるのです。


ヨガを始めたばかりの頃、先生に、ヨガをすると自分の中の隠れた欲求が表に出てくるよ。といわれたことがあります。実際そうでした。

食欲の人もいれば、性欲の人も、物欲の人もいろんな人がいます。

それは、自分というパーソナリティーに向き合い、自分の中の答え、欲求と向き合うという作業が、ヨガの重要なプロセスだからです。

だから、ここでいうアドレナリンが・・・・・・っていう欲求や食欲とは、ちょっと違うのだけど。

でも、ヨガのプロセスとしての深い欲求、それは耽溺していいのです。


浸かって浸かって浸かりきって、、ある時、もっと深いところにある本当の自分を発見します。


単なる欲求は、それにまかせてコントロールできないといろいろな不都合が起こります。

ヨガは、かならずそれに対して、解決策を自分の中から見出させてくれます。


おっと、話は少しそれました。

Anyway,ヨガで痩せるか?といわれれば、手段を選べば痩せます。


でも、ヨガの本当の落ち着きどころは、その人のその人なりのベストな状態です。


痩せすぎも太りすぎもダメ。


身体が一番自由で健康で軽い状態。もちろん、それを維持すること。



つくるのは、結構簡単。

維持するってところが、難しい。


だから、続けましょう~~。みなさま~。私もね~。

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  • 2015-05-07(Thu)
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今回のお話のキーワードは、「つながる」ということ。

ヨガを始めたばかりの人も、長く続けている方も、ヨガっていう単語が、ユジュ=つながる・・・という言葉に
ルーツを持つっていうことは、聞いたことがあるでしょう。

まずは、自分自身がつながること。

そして、周りの人とつながること。

そして、生活する地域とつながること。

社会とつながり、世界とつながり、自然界とつながり、宇宙ともつながる。

なんだか、最後は壮大すぎちゃって意味がわかんないかもしれませんが。笑))

ヨガをはじめてから、このことを知識として知り、実際に行動して実感し、身をもって体感しています。

自分自身が、統一されていない状態。自分で自分のことを知らない状態。
言ってることが、行動を伴っていないとか、行動と言動が違う、などはこれにあたります。
思っていることと、やっていること(行動)が一致している状態がヨガです。

もちろん、一致しているからといって、人から見て、その行動がすべて素晴らしいとか
いいことばかりであるとは限りません。それは、また別の次元の話です。

周りの人、自分の身近な人から始めます。
親、兄弟、夫や妻、子供、祖父母、先生、生徒、友達、仕事の同僚。
そういう人たちと、つながります。
何かの理由があって、そのような縁ができます。これは決して偶然ではありません。

私たちのこと、ただ、自分のことを考えても、自分が今ここにあるという事実。

自分の両親が結婚して生んでくれなければ、ココにはいません。
そして、自分たちの親も、またのその親である祖父母が結婚して生まれなければ
そこにはいません。
その祖父母も、またその両親が結婚して生まれなければ、ここには今の自分はいないのです。

こうして、自分のルーツをたどると、自分がここにいるという事実。

ソウルメイトという言葉、ご存知の方もいるでしょう。

これは、ある種の特別な関係の人のことをさす場合もあるようですが、そうではなくて。
自分の周りに今いる人、かかわってる人、すべてソウルメイトと考えていいでしょう。

おそらく、もとのもとのもと・・・・・とたどっていけば、人間は始まりは数人だったに違いありません。

そう考えると、本当に今これほどいる人間のすべてが、いつか、なんらなかのカタチで繋がっていなかった
ということを考えるほうが難しい。

そういう意味でも、また現にコレだけたくさんの人間がいるこの現在で、自分という人間が一生の間に
出会う人のひとりひとりが、自分にとって何らかのご縁がない、とは考えにくいでしょう。

そうすると、やはり自分を取り巻く人々、かかわりのある人というのは、いろんな意味で、全員がソウルメイト
なのです。

お互いに、メイトから学んでいるのです。よいことであろうと、わるいことであろうと。
自分はどういう人間であるのか、ということを思い知るために、教えてくれています。

自分に接する、あらゆる人から学びがあります。

私たちは、それによって自分が何者であるか、どうでありたいか、どうすればいいのか、
ということを常に学びながら生きています。

それこそが、ソウルメイトです。

そういうつながりの中で、周りの人と繋がることで、自分の中の自分とつながり、しり、わかることがあります。

そうすると、必然的に、自分がいる場所についても繋がることがより広い世界や視野をもたらしてくれます。

なんらかの理由で、そこにいる意味があります。

そこで起こる問題があれば、それにも意味があります。

それは、繋がることが前提です。人や地域と繋がらない場合には、意味や問題などは起こりませんから、
そこにありながら、自分に必要な学びの機会を失うということになります。

たいがいは、その理由は、自分から起こっていると考えて間違いないでしょう。

天災などの不可抗力の場合は別にして、いいことも悪いことも、自分が撒いた種が発芽しているにすぎませんから
自分のまいた種を、ようく探してみることが大事です。

このように、自分から始まる探す旅は、どんどん自分の外側の世界へ果てしなく広がっていくことが出来ます。

そのたびごとに、外へ広がるたびごとに、おそらく自分の内側を知ることになるのです。

ヨガは、このような旅をすすむのに、とても役に立つ道具です。

あるときは、旅のヒントをくれたり、感情を穏やかにしてくれたり、冷静さをもたらしてくれたり、
地図をくれたりします。喜びや、もしかすると悲しみもあるかもしれません。
厳しさや、あたたかさもあるでしょう。

よく日本人が、外国で暮らし、もどってくると、外に出て初めて日本のよさがわかった・・・・っていうことが
ありますが、まさにアレです。

自分の中にこもっているうち、自分の中だけで解決しているうちには知らないこと、わからないことは、
外に出て行って、外の世界をみることで、内側(自分自身)というものをより深く理解できるのです。

人とかかわって、社会と繋がって、さまざまなことを知ることで、自分というルーツをよりよく理解することができます。

繋がるには、踏み出すことが第一歩です。

それは、自分自身で行動するしかありません。

まちがっても、なんでも自分で決めて自分で行動することが大事です。

結局繋がってますから。

自分が発したものが戻ってきます。もどってきても、自分が発したものだから仕方ありません。

発することがない人には、戻ってくるものはなくなります。

与えなければ、与えられないのです。


呼吸は、吐き出すことで、自然にまた吸う息に戻るのです。意識しなくても。

EXHALE、

INHALE、

 BREATHE DEEPLY!!

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  • 2015-05-07(Thu)
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今年もあとわずか。
なんとなく、遣り残したことを今のうちにとか、なんとか決着を・・・なんて思ってる人も多いのではないでしょうか?

でも、時間なんて、本当はいつも同じ時を刻んでるのです。
今日を精一杯やって、明日が来たらまた明日。やれることをやるだけです。
キモチの問題ですね。

かくゆう私も、今年は息子がクリスマスから熱を出して臥せっているので、大掃除なんかも全然残ってるけど、しかたないな~なんてココに来て、諦めの境地に達してます。
まあ、きれいにするのに年末も年始も無いから、できる時にするしかないですしね。

さあ、問題をキーワードに戻します。笑)
といって、結構関係してるんですが・・・。

ASANAには、ある程度のとどまる時間というのが必要です。

どの程度かというと・・・・・・・・人によって違いますが、気づくまで。。。。かな。

いろんなやり方のあるヨガですが、まあどんな人にもおよそ時間は必要です。
ASANAの中にとどまる時間。

ソコから見えてくることがたくさんあります。

多分、まず自分の身体の状態。身体のどの辺が辛いとか、こっちのほうは比較的らくだとか、このポーズは自分にはきついとか、先生と同じ形にならないのはなぜ?とか。
前屈はあんまり曲がらないけど、反るほうは結構いけるとか、バランス系は難しいけど、逆転のポーズは好きだとか。

呼吸が苦しいとか、らくだとか。

ポーズのことじゃなくて、仕事のこととか、ヨガのあとの予定とか。

いろんなことを観察したり、考えたりしながらアサナをしていると思います。
または、無心だったり。

ま~、なかなか最初から無心になる人ってのも少ないでしょうけど。

その時に、その中にとどまるってことが大事だけど、なかなかそれが難しい。

例えば、苦手なアサナだと、あまり長くステイしたくないでしょう?
はやく5呼吸おわらないかな・・とか。先生のカウントが終わるとすぐ抜けたくなる。
逆に好きなポーズだと、もうちょっととどまりたいな~なんて考える。

そう考えることがよくないとか、いいとかじゃなくて、そういうふうに考えている自分をとどまることで見つける。いつもより少し長くとどまってみることで、気がつくことがある。

一生懸命にポーズに入っているときは、気がつかないけど、誰かが急に笑い出したり、
先生が面白いことを言ったりして、急に力が抜けることがあるでしょう?
そうすると、ふっと気がつくことがある。

誰かと一緒にやってなくても、少し長めにやってると、気がつかないけどどっか遠くから自分をみたりして、アレ~なんでこんなことやってんのかな~なんて思ったりすることもある。そういう経験がとても大事。そこで発見すること多数。ひとによって違うけど。

そういう気づきを見つけるためにも、少し長めのとどまる時間。
すご~く考えちゃう人は、とても長い時間とどまる必要があるかもしれない。
でも、それはそれでいい。人によって長めの時間も違うから。

とどまってみてください。ためしにアサナの中で。

同じように日々の生活でも、とどまるってことは同じようにリンクしてて重要。
ヨガの面白さは、日々の生活の中にこそ、生かされて自分を変化させるところ。
アサナができるようになったり、気持ちよくなったりするだけではないんです。
(もちろん、それに満足することも必要だし、すばらしいのですが)

ヨガマットの外で、何をするか、何を感じるか、何を行うか。
どうやって生きることが出来るのか、そういうヒントをヨガの練習が与えてくれるのです。

何か苦手なことや、人やそういうものに出会ったとき、普通の人は、出来るだけ早くやりすごしたい・・・・なんて考えますよね。あ~、早くこの会議終わらせたいとか、この仕事さえ終われば・・・・・・・とかね。でも、そういう事柄ひとつ一つの中でとどまってみる。
(私の先生はよく、味わいなさい・・・という言い方をしてたけど)
とどまって、気がついてよく味わうと、次回、同じような苦手なことが起きなくなる。
というか、自分自身の物事に対する考え方やスタンス、捉え方が変わってくるので(徐々にね)同じように感じなくなる。ひとつひとつにとどまって、冷静に見られるから。

で、味わいつくす・・・・というか、徹底的に、そこにこだわって、とどまってみると、突き抜けるときがある。
何でそんなことにエネルギーを消耗しているんだろうと。ものすご~く大事だと思ってたことが、アレ?実はそうではないって考え方もあるな~なんて、急に離れることが出来るようになる。それは、ある意味そういった、こだわりととどまりという耽溺を経験したからこそ到達できる境地というか、順番なんだけど。
そういう経験をしたことがないとなかなかわからないんですけどね。

そういうことによって、自分が「ちょっと嫌だな」と感じることについて一つクリアできることがある。クリアすると、また他の嫌だなとかがやってくるとは思います。笑)
でもそれも練習。同じようにとどまってみましょう。そうやって、自分にとっての困難に対処して、クリアしていくことが出来るようになる。

いろんな人に教えていると、本当にそのアサナへの向かい方、習い方でその人の人となりがわかるものです。

苦しそうながらも、黙って耐えながらアサナをやっている人とか、適当に自分のやりやすい形にアレンジしちゃってる人とか、カウントの途中でも出来ないからってすぐにやめちゃう人とか、出来ないはできないなりにその時はやってるけど、終わった後さんざんどうして出来ないのかを説明してくれる人とか(笑)。

自分の内面と外面(身体や言動など)は常に連動している。結構、わすれてるっていうかわかってるようで、わかってない人が多いみたいだけど。

ヨガは、こころの中で起こっていること、自分自身で気づいていない自分自身のことを教えてくれます。ヨガが教えてくれるっていうよりもヨガを通じて学ぶって言うほうが正しいかな。
そういう部分を揶揄して、ヨガの修行といったりすることもあるけど、自分自身を磨く、発見する、そういう役割を果たしてくれます。
私自身は、ヨガを通して自分自身で気がつくというところに意味があると思うのです。

自分で自分に向き合うって、結構難しいけど、ヨガは誰にでも出来る誰にでも使いこなせる、しかも強力なツールです。

きっかけは、アサナだったり、呼吸法だったり、瞑想だったり、自分の身体の不調だったり、ストレスだったりするかもしれません。

癒されたいという思いは誰にでもあると思います。

でも、本当の意味での癒しができるのは、多分自分自身でしかないのです。

とどまってみることで、今まで「こうだ」と思い込んでいたセカイが、実は、、、、
まるで違っていたということを明日、発見できるかもしれません。

とりあえず、できること、とどまってみませんか?
そのなかで、何か見つけられるかもしれません。

でも、今は見つからないかもしれません。
その時は、それでいいじゃないですか。

とどまること、それ自体に意味があります。

みつからなくても。感じるだけでも。

STAY HERE & NOW

ENJOY  YOURSELF!

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  • 2014-12-16(Tue)
  • Com 0
ワコールさんからの依頼でブログ連載中です。
来月12月末までの4回シリーズです。ご覧ください。
winghttp://www.w-wing.jp/magazine/beauty/

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