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Philosophic Foundation


Yogaをすると身体がやわらかくなるとか、強くなるとか、美しくなるとか、代謝がよくなるとか、リラックスできるとか、ちょっとした出来なかったポーズが出来たりすることで自信がつくとか、感覚がクリアになるとかそういうのも確かにヨガで得られる恩恵であり、喜びの一つです。しかし、本当の意味で私たちをひきつけるYogaの魅力は、メンタルや肉体的レベルでのそのような効用なのでしょうか?

私たちは、なぜ人生の中で苦しいことや嫌なこと、困難な出来事に出会うのでしょうか。どうして困難な状況や問題を作り出しているのかというメカニズムを知ることは、そのような状況から開放されるためにとても役に立ちます。
そのためには、私たちのPerception(知覚、感覚)がどのように作用しているかをし知っておく必要があります。
たいていの場合、私たちは自分たちが正しく状況を捉え、それによって判断していると思っています。しかし、実際には多くの場合思い違いをしていて、他人や自分を困った状況にしてしまうことがあるのです。困難は、私たちがその状況に疑いを持ったり、状況が分かっているにもかかわらず行動を起こさないことで生じてくるのです。

ヨガスートラには、Avidya(アビディヤー)というタームが出てきます。
Avidya=不正確な理解と訳されます。誤った認識や知覚、思い込みなどの潜在的な根深い誤った認識のことをさします。Avidyaは、日々のちょっとした無意識的な行動や、オートマティックに行われている毎日の生活習慣などが積もり積もって形成されると考えられてます。なんの疑問ももたずに自動的に行われる反射行動を日々繰り返すことで、人はますます悪しき習慣に慣れ、それを頼りに生きていくようになります。このような習慣的な行動や感覚のことを
Samskara(サンスカーラ)と呼びます。これらの行動が私たちのココロをAvidyaのベールで覆い、物事や真実を覆い隠してしまうのです。
Avidyaはココロやもっと奥深いところからくる洞察や感覚や行動ではなく、浅く表面的な理解や表面的な現象に囚われて反応する単なる反応を生み出します。つまり私たちの中には、二つのレベルの認識や感覚が存在するのです。
ひとつは、クリアでより深い部分からくる洞察と観察に基づいた認識のレベル。もうひとつは、Avidyaに囚われた表面的な理解と判断にもと基づく認識・感覚のレベル。
私たちは、クリアな鏡のような澄んだココロと心の眼を持って生きるべきなのです。Yogaのあるレベルでのゴールは、Avidyaのヴェールを取り去り、正しくものを見て、正しく行動できるようになることなのです。

Avidyaは、4つの形をとって現れると考えられています。
その形のひとつが、Asmita(アスミター)であり、私たちが「エゴ」と呼ぶものです。自己顕示であったり、自尊心などとして現れます。他人に認められたい、自分が一番、わたしはすごい・・というような自分自分・・・という強烈な意識です。
2つ目は、Raga(ラーガ)と呼ばれ、欲求、欲望、貪欲とよぶものです。
一度味わった快感が忘れられず、必要もないのにもっともっととほしがる欲望であり、執着です。
3つ目はDvesa(ヴェーシャ)と呼ばれ、Ragaの対極として現れます。拒絶であり、否定であり、新しい物事や関係を受け入れたくないという閉じたココロです。
4つ目のAbhinivesa(アビニヴェーシャ)は、「恐れ」であり、最も奥深く、もっとも生活のいろいろな場面で形を変えて現れるAvidyaです。
これらの4つのAvidyaは、形を変え、一つで時にはいくつかが一緒になって私たちのココロに作用します。

例えばYogaのクラスでAsanaを練習するとき、Asanaの出来具合を人と比べるという傾向があります。ある人は、自分よりずっと柔軟かもしれません。比べるとそこには、不満足が生まれます。人と比較することは、あるものにとっては優越感を生み、あるものにとっては劣等感や不満足を生み出します。このような劣等感や不満足は、一度芽生えるとなかなか拭い去ることが出来ず、積もり積もって自分の中に残るです。優越感であれ、劣等感であれ、私たちの中に生じる様々な感情の奥底でくすぶり続けるのです。
またほかの例をあげてみましょう。学者さんの書いた本の解釈に誤りがあったとしましょう。普通なら素直に謝るところですが、友人にその点を批判され深く傷つき、Asmitaの影響の下に自分が正しいという証明をしようとやっきになるでしょう。エゴという存在が自分の過ちを認めることを拒むのです。

このようなAvidyaの存在が、私たちのココロを揺るがす感情や感覚を生み出す源になっているのです。Avidyaの存在を知り、その存在に注意深くあることは、直ちにそれをなくすことは出来なくても、大きな気づきであり、知覚をや感覚をコントロールする第一歩となります。エゴや欲望や拒絶や恐れがドンドン自分の中で大きくなってくるときには、過ちを正す大きなチャンスが訪れたと考えるべきです。どうしてこんなに苦しいのか、どうしてこんな感情に囚われるのか、そんな奥深い問いかけが自分を見直し、自分という存在のあり方を根本から考えるチャンスなのです。そこで、自分の中のAvidyaの存在とAvidyaの影響を意識できたら、受け入れ、学ぶことが大切です。

ココロを研ぎ澄ます、感覚をクリアにする、自分が直面した出来事をそのまま受け入れる。マインドや頭脳の考えや感情に引きずられることなく、ココロの眼で(武道では心眼を開くといいます)状況を見ることです。感情が抑えられずに反射的にしてしまった行動によって自分と関係する大切な人を傷つけたり、状況を悪くするというのは、よく経験することです。
「私」という存在の浅い表面上にたくさんたまっているAvidyaを越えて、一歩内側に入るとそこには静けさが漂っています。そこからもっともっと奥にはいっていくと、深く無限の静けさと穏やかさにたどり着きます。自分と自分以外の外側との境目が解けて消えて感覚がどんどん拡大していくのです。自分の中にある静けさを一度味わうことが大切です。
Yogaの練習をした後や、海に入ったあと、急に視界が開けたような、視力がよくなり光の量が増し、輪郭がはっきりし、一枚薄皮がはがれたような知覚になることがあります。これは、肉体的なレベルでの浄化が知覚に影響していることの証拠です。Yogaなどの自分を浄化する自分なりのよい方法を持っている人は、生き方がシンプルになり、何が自分にとって一番大切なのかと言う核心部分をしっかりと捉えているので、ぶれません。
Yogaは、そのようなコアを探し感覚をクリアにするとてもよい手助けになります。内なる静けさを味わうチャンスと道しるべを与えてくれるからです。
Yogaの本当の価値は、そんなところにあると思います。

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