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そこにとどまる


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今年もあとわずか。
なんとなく、遣り残したことを今のうちにとか、なんとか決着を・・・なんて思ってる人も多いのではないでしょうか?

でも、時間なんて、本当はいつも同じ時を刻んでるのです。
今日を精一杯やって、明日が来たらまた明日。やれることをやるだけです。
キモチの問題ですね。

かくゆう私も、今年は息子がクリスマスから熱を出して臥せっているので、大掃除なんかも全然残ってるけど、しかたないな~なんてココに来て、諦めの境地に達してます。
まあ、きれいにするのに年末も年始も無いから、できる時にするしかないですしね。

さあ、問題をキーワードに戻します。笑)
といって、結構関係してるんですが・・・。

ASANAには、ある程度のとどまる時間というのが必要です。

どの程度かというと・・・・・・・・人によって違いますが、気づくまで。。。。かな。

いろんなやり方のあるヨガですが、まあどんな人にもおよそ時間は必要です。
ASANAの中にとどまる時間。

ソコから見えてくることがたくさんあります。

多分、まず自分の身体の状態。身体のどの辺が辛いとか、こっちのほうは比較的らくだとか、このポーズは自分にはきついとか、先生と同じ形にならないのはなぜ?とか。
前屈はあんまり曲がらないけど、反るほうは結構いけるとか、バランス系は難しいけど、逆転のポーズは好きだとか。

呼吸が苦しいとか、らくだとか。

ポーズのことじゃなくて、仕事のこととか、ヨガのあとの予定とか。

いろんなことを観察したり、考えたりしながらアサナをしていると思います。
または、無心だったり。

ま~、なかなか最初から無心になる人ってのも少ないでしょうけど。

その時に、その中にとどまるってことが大事だけど、なかなかそれが難しい。

例えば、苦手なアサナだと、あまり長くステイしたくないでしょう?
はやく5呼吸おわらないかな・・とか。先生のカウントが終わるとすぐ抜けたくなる。
逆に好きなポーズだと、もうちょっととどまりたいな~なんて考える。

そう考えることがよくないとか、いいとかじゃなくて、そういうふうに考えている自分をとどまることで見つける。いつもより少し長くとどまってみることで、気がつくことがある。

一生懸命にポーズに入っているときは、気がつかないけど、誰かが急に笑い出したり、
先生が面白いことを言ったりして、急に力が抜けることがあるでしょう?
そうすると、ふっと気がつくことがある。

誰かと一緒にやってなくても、少し長めにやってると、気がつかないけどどっか遠くから自分をみたりして、アレ~なんでこんなことやってんのかな~なんて思ったりすることもある。そういう経験がとても大事。そこで発見すること多数。ひとによって違うけど。

そういう気づきを見つけるためにも、少し長めのとどまる時間。
すご~く考えちゃう人は、とても長い時間とどまる必要があるかもしれない。
でも、それはそれでいい。人によって長めの時間も違うから。

とどまってみてください。ためしにアサナの中で。

同じように日々の生活でも、とどまるってことは同じようにリンクしてて重要。
ヨガの面白さは、日々の生活の中にこそ、生かされて自分を変化させるところ。
アサナができるようになったり、気持ちよくなったりするだけではないんです。
(もちろん、それに満足することも必要だし、すばらしいのですが)

ヨガマットの外で、何をするか、何を感じるか、何を行うか。
どうやって生きることが出来るのか、そういうヒントをヨガの練習が与えてくれるのです。

何か苦手なことや、人やそういうものに出会ったとき、普通の人は、出来るだけ早くやりすごしたい・・・・なんて考えますよね。あ~、早くこの会議終わらせたいとか、この仕事さえ終われば・・・・・・・とかね。でも、そういう事柄ひとつ一つの中でとどまってみる。
(私の先生はよく、味わいなさい・・・という言い方をしてたけど)
とどまって、気がついてよく味わうと、次回、同じような苦手なことが起きなくなる。
というか、自分自身の物事に対する考え方やスタンス、捉え方が変わってくるので(徐々にね)同じように感じなくなる。ひとつひとつにとどまって、冷静に見られるから。

で、味わいつくす・・・・というか、徹底的に、そこにこだわって、とどまってみると、突き抜けるときがある。
何でそんなことにエネルギーを消耗しているんだろうと。ものすご~く大事だと思ってたことが、アレ?実はそうではないって考え方もあるな~なんて、急に離れることが出来るようになる。それは、ある意味そういった、こだわりととどまりという耽溺を経験したからこそ到達できる境地というか、順番なんだけど。
そういう経験をしたことがないとなかなかわからないんですけどね。

そういうことによって、自分が「ちょっと嫌だな」と感じることについて一つクリアできることがある。クリアすると、また他の嫌だなとかがやってくるとは思います。笑)
でもそれも練習。同じようにとどまってみましょう。そうやって、自分にとっての困難に対処して、クリアしていくことが出来るようになる。

いろんな人に教えていると、本当にそのアサナへの向かい方、習い方でその人の人となりがわかるものです。

苦しそうながらも、黙って耐えながらアサナをやっている人とか、適当に自分のやりやすい形にアレンジしちゃってる人とか、カウントの途中でも出来ないからってすぐにやめちゃう人とか、出来ないはできないなりにその時はやってるけど、終わった後さんざんどうして出来ないのかを説明してくれる人とか(笑)。

自分の内面と外面(身体や言動など)は常に連動している。結構、わすれてるっていうかわかってるようで、わかってない人が多いみたいだけど。

ヨガは、こころの中で起こっていること、自分自身で気づいていない自分自身のことを教えてくれます。ヨガが教えてくれるっていうよりもヨガを通じて学ぶって言うほうが正しいかな。
そういう部分を揶揄して、ヨガの修行といったりすることもあるけど、自分自身を磨く、発見する、そういう役割を果たしてくれます。
私自身は、ヨガを通して自分自身で気がつくというところに意味があると思うのです。

自分で自分に向き合うって、結構難しいけど、ヨガは誰にでも出来る誰にでも使いこなせる、しかも強力なツールです。

きっかけは、アサナだったり、呼吸法だったり、瞑想だったり、自分の身体の不調だったり、ストレスだったりするかもしれません。

癒されたいという思いは誰にでもあると思います。

でも、本当の意味での癒しができるのは、多分自分自身でしかないのです。

とどまってみることで、今まで「こうだ」と思い込んでいたセカイが、実は、、、、
まるで違っていたということを明日、発見できるかもしれません。

とりあえず、できること、とどまってみませんか?
そのなかで、何か見つけられるかもしれません。

でも、今は見つからないかもしれません。
その時は、それでいいじゃないですか。

とどまること、それ自体に意味があります。

みつからなくても。感じるだけでも。

STAY HERE & NOW

ENJOY  YOURSELF!

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